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第2回 修験道に学ぶ

役行者について略歴をまとめた。

役小角(えんのおづぬ)は、大和国南葛城郡の茅原村(現在の奈良県の御所市茅原)に生まれる。634年〜706年(飛鳥時代)に生きた修験道の開祖。後、1799年 光格天皇から「神変大菩薩」の諡を贈られる。(光格天皇の真筆、聖護院に現存されている)

役行者は神通の持ち主であった。神通とは、衆生の利益、救済を目的とし、神、鬼、自然霊などを動かし、人々の願いを成就する手助けをすることである。伝説として伝わっているもので、中臣鎌足の病気を治した。山賊を神通で打ち負かす。葛城山の神の一言主に、岩橋を掛けるように命ずる。官人が役行者を捕らえようとするも神通で返り討ちにする。母と共に、虚空を飛んで唐土に渡り法華経の法話を聞く…など、不思議なことがたくさん書かれている。

役行者は、賀茂役氏からでた氏族「権右大弁刑部少輔富方(ごんうだいべん ぎょうぶのしょう とよかた)」の子。幼少期の名は「朝日丸(あさひまる)」という。聡明英知にして一字を聞いては百字を悟り、内には五戒(不殺生戒、不偸盗戒、不邪淫戒、不妄語戒、不飲酒戒。優婆塞戒)を保ち、外には五常(仁義礼智信)を守り慈悲深いとある。

17才になると元興寺で孔雀明王の呪法を学ぶ。金剛山、葛城山で山岳修行に入り、熊野や大峰の山々で修行を重ね、吉野の金峯山で蔵王権現を感得し、桜の木に刻んで堂に祀る。これが修験道の基礎となる。また神通にも優れており、前鬼(夫)、後鬼(妻)と呼ばれる夫婦の鬼を従えていた。

ところが、699年、彼の弟子の一人であった韓国広足(からくにのひろたり)が、その能力を妬んで彼を讒言したため、妖術をもって人心を惑わす者として捕らえられ伊豆の大島に流罪になる。昼は伊豆、夜に富士山に行って修行していた。701年、罪が許されて帰京するが、ほどなくして寂滅した。

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