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人づくり

敷島勉強会の続きです。貞観政要 第四巻 十一、十二章を読んでの感想を発表しました。

今回は皇太子である李承乾の態度を諫めるという章でした。李承乾は家臣よりその態度を幾度となく指摘されているが、反省する様子もなく指摘した家臣を暗殺しようとしています。

権力やお金があるところに生まれると、苦労する経験が少なく、精神的にも堕落してしまうというのは、この事例からみて、今も変わらないよくある話なのだと思いました。

李承乾に、まわりにたくさんの家臣がいて、指導をしているのにも関わらず、李承乾が聞く耳を持たないのは、李承乾とって尊敬できる家臣がいなかったのか、それとも父、李世民に構ってほしいという反発心から来たことなのかアレコレと想像していました。(李承乾の器や因縁もあると思いますが)

こういう内情をみると、権力と権威の両方を持っていると継承が難しいのではないかと思いました。権力と権威を両方をもっているのは、とても稀なことですし、権力があっても徳がなければ暴力になるし、徳があっても権力がなければ無力になります。王朝が続かないのも理解できます。

我が国では、国譲りより、徳・人格で国を治める「知らす」国作りをしてきました。

権力で統治をする「うしはく」では、権力をもつ人の所有物であり、別の権力をもつものが現れると取って代わられる、その繰り返しです。我が国がそのようになっていないのは、国家の中心にいる天皇陛下が、公であろうとし続けるからこそ、万人のための国家でいられるのだと思います。

権威で権力を束ねるということは、権力で権力を打ち負かすよりも難しいことだと思います。これまでに、内部で権力争いがあったり、維新が起きようとも、天皇を中心とした国づくりが、今日まで世襲で代々続いているということが奇蹟の連続のように感じました。

この発表のあとに、亀山先生からは「織田信長、豊臣秀吉、徳川家康など影響力のある初代に比べて、二代目は目立たないもの。初代以降、続くか続かないかは、人づくりの体制ができているかどうかの違い」と、また「権威で権力を束ねることができるのは、権威を代々積み重ねてきたから可能になる」とご指摘をいただきました。

126代も世襲制で天皇が続いてきたのは、国譲りの際に「権威」と「権力」を分けたことがはじまりで、神武天皇で建国の理想を立て、憲法十七条で人づくりの体制のもとができたのではないかと考えます。そして、このような体制を国民が自然と受け入れてきた土壌があり、これまで続いてきたのではないかと思いました。

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