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第1回 憲法十七条に学ぶ

参議院選も終わり憲法改正について様々なところで話題にあがっていますが、日本最古の憲法といえば「憲法十七条」ですね。「和を以て貴しとなす」という言葉は有名だけど、他の条文にはどんなことが書かれているか知らない人も多いのではないかと思います。

僕自身も憲法十七条を学ぶ機会がなければ知りませんでした。それどころか憲法十七条は過去の出来事のひとつとして、あぁそういうのもあったよねという程度の理解で止まっていたと思います。

しかし、憲法十七条を調べていくうちに、今の時代にも通じる内容だということと、今の時代に必要とされているのではと思うようになりました。

この記事は僕の学習記録のようなものですが、この記事を通じて「憲法十七条」の内容を知ってもらうキッカケになれれば幸いです。

憲法十七条の制定背景

隋に独立国として認めさせるために

589年、隋が陳を滅ぼして中国を統一した頃、朝鮮半島では、高句麗、新羅、百済が隋の冊封体制に組み込まれていきました。600年、第一次遣隋使が派遣されることになるが、屈辱的な外交に終わりました。隋の皇帝・文帝から日本の風俗や政治について尋ねられた使者は「天 未だ明けざる時に出でて(まつりごと)を聴き、あぐらして坐る。日出づればすなわち理務(つと)めを()め、わが弟に(ゆだ)ねむ」と応えたことで、文帝から「此れ大いに義理(ことわり)なし、ここにおいて、(おし)へて之を改めしむ」と言われたとされています。

それを受けて、603年、日本は新羅攻撃を中止し、同年、12月「冠位十二階」を制定、翌年1月に施行。604年4月には「憲法十七条」を制定しました。

隋の冊封体制に組み込まれないよう独立国として認めさせるには、日本には独自の文化があるということを証明する必要がありました。聖徳太子は日本文化の根底にあるものとして「憲法十七条」を考え出しました。

日本国内の政治体制を整えるために

604年4月「憲法十七条」制定時、聖徳太子は推古天皇に以下のように伝えています。

「神の代は、天皇も家臣も正しく誠実な心でそれぞれの勤めを果たしていた。だから、朝廷が政治を行うにも規則や禁令を作る必要がなかった。しかし、この頃は生まれつきの正直さをなくして邪な心を発すようになってしまった。これでは、後の世はさらに法令は守られずに乱れを生じるだろう。しかし、自然の摂理というものは人の世の法令によって曲げられるようなものではない。今必要なのは、自然の摂理に従った法令なのである。陛下の聖なる徳をもって、願わくば良い憲法を立て、後世においても庶民の(つと)めに乱れなく、王たる者の悪い行政の無いようにすることを願う。」

憲法制定後、群臣に(みことのり)を出しました。

「政を正しくするのは学問である。学問とは儒教、仏教、神道である。この三法は究極にして天に自然と存在する法であり、人為的に造った規則ではない。これらは天皇の政を道たらしめ、国家を治め、人の心を正しくし、すべての人々を善くするためのものである。(一法に偏らないこと)」

政治を任されている人々が正直さをなくし私欲にまみれていたという背景もあり、国内外に示す法令を作る必要がありました。

憲法十七条の存在意義とは

この憲法十七条の最大の特徴は、自然の摂理に従った法令であるという点と、どこであっても新しい使い方ができること。私たちが日常生活の中で十七の条文を活かしてこそ、憲法十七条の存在意義があるのではないかと思います。

参考文献

  • 教養として読んでおきたい「十七条憲法」(永﨑 孝文)
  • 聖徳太子に学ぶ十七条五憲法 先代旧事本紀大成経第七十巻憲法本紀(宮東斎臣)

※記事は随時更新します

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