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第2回 貞観政要を読む

隋・唐の王朝

隋や唐は、4世紀に始まる民族移動のうねりの中から生まれた国である。国際色豊かな文化を持つのが特長。唐の太宗朝の政権をになった人々と、洛陽など中国の東部にいた名門の一族との確執があった。

玄武門の変

李世民が建成(皇太子)や元吉(弟)と比べて評判が高まってくると、世民側と建成、元吉側の陣営で対立がおきるようになる。李世民は、建成、元吉が自身を暗殺を企てていたことを知る。武徳九年(626年)長安の宮城に出勤しようとしてきた建成、元吉を玄武門で待ち伏せして殺害した。この時、建成の配下であった魏徴を登用することになる。

玄武門の変の2ヶ月後、初代皇帝 高祖(李淵)が退位し、李世民が即位。元号を貞観と改める。貞観とは、心を正しく観る。迷わないものの見かたのことをいう。この元号には太宗の願いが込められているのかもしれない。

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